大正14年北陸の宝塚と謳われた粟ヶ崎遊園が内灘砂丘に存在していました
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 からのお知らせ今からおよそ90年ほど前
大正4年に内灘砂丘に誕生したアミューズメントパーク粟ヶ崎遊園
兼六園のおよそ二倍の敷地6万坪の敷地に500人収容の大劇場
をはじめ、百畳敷きの大広間、総タイル張りの大浴場、料亭、洋食堂
、旅館、貸席、コドモノクニ(遊技場)、動物園、スキー場、野球場
貸しボート、白鳥の池、全長72mの大山すべり台などを
備えていました。
当時としては巨額の現在の価値にしておおよそ40億円の
私財を投じた創設者は、国鉄金沢駅で手広く材木商を
商い、「北陸の材木王」と呼ばれた平澤嘉太郎でした。
平澤は麻の側電鉄も経営していました。
内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館では」
粟ヶ崎遊園について詳しい展示を行っております。
ご来館お待ちしております。
http://www.town.uchinada.lg.jp/webapps/www/section/detail.jsp?id=1438